2023年主日礼拝説教放送

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【2023年12月31日主日礼拝説教】

今年の最後の主日を迎えました。31日が主日であることは、終末を覚えるにちょうど良いと思います。私たち信者には二つの生き方が必要であると聖書に教えられています。一つは今を主の御前にあって忠実に生きること。もう一つは終末を備えながら待ち望むことです。今を主の御前にあって忠実生きる生き方。マタイの福音書第25章は終末に対するイエス様の重要な教えが書かれています。このたとえ話は、今を忠実に生き、働くことを教えてくれます。それから、信者は人を意識しながら生きるより、いつも主の御前にあって歩んでいることを意識しながら生きることを教えてくれます。


【2023年12月24日クリスマス礼拝説教】

1。父なる神様、子なる神様、聖霊である神様の三位一体の神様のもとから、神様の子が受肉して人となり、私たちの世においでくだいました。神様が人間の姿になり、しかもしもべの形をとり、自分の無にされて誕生されました(ピリピ2:6〜8)。2。なぜ神の子が人となられたのか。それは父なる神様の愛のゆえだという他ありません。神の子が人間とならなければ、私たちは父なる神様の存在も、神様の愛もわかりません。人となられた最大の目的は、神のひとり子なるイエス・キリストを信じて永遠のいのちをいただくためなのです。


【2023年12月17日アドベント第三主日礼拝説教】

 1。キリストは完全な預言者です。キリストは預言者として人たちに神のみことばを教え語られました。(ヨハネ1:1,18)2。キリストは完全な大祭司です。キリストは永遠なる大祭司として自分自身を献げ、ただ一度で贖いを成し遂げられました。またキリストは私たちのために、とりなしていてくださいます。(ヘブル7:27、ローマ8:34)3。キリストは完全な王です。キリストは永遠なる王として人間を含んだ被造物すべてを治められます。キリストこそ王の王であり、主の主です。また、再臨の主としてご自身の統治を成し遂げられます。(黙示録19:16)


【2023年12月10日アドベント第二主日礼拝説教】

イエス・キリストは、「私たちとともにおられるために、人となれたのです。」全能の神が私たちとともにおられることは、どの祝福より大きなものです。私たちとともに歩んでくださり、話し合ってくださり、支えてくださり、守ってくださり、導いてくださるのです。信仰とは、私とともにおられる主を見ることであり、体験することであり、信じることです。


【2023年12月3日アドベント第一主日礼拝説教】

イエスという名前は、「主は救い」という意味をもちます。(マタイ121)。イエス様をだれだと考えるかが重要です。まことの神であり、救い主として考えて、信じるかどうかは、その人の信仰に大きな影響を及ぼします。神様は御子にイエスという名を与えられました。それはイエスの名によって、天地万物のすべてが膝をかがめ、すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神様に栄光を帰するためです。(ピリピ2:9〜11)。


【2023年11月26日主日礼拝説教】

今日の聖書には、二人がイエス様に出会い、イエス様に懇願し、イエス様のおことばによって癒された話が書かれています。聖書に書かれている癒しの話を読んだり、説教を聞いたりするときに、私たちが持つべき信仰は、イエス様は全能なる神様であられますから、人のどんな病気もお癒しになれるということです。それから、癒しに対する主権は全く神様にだけあるということです。もう一つ、大事なことは、癒しの有無と関係なく、私たちが生きることも死ぬこともすべて、神様の御手にかかっているということです。


【2023年11月19日主日礼拝説教】

今日のみ言葉はその最後のものですが、一貫したメッセージを伝えています。それは「天の父のみこころを行うこと」です。15〜20節には、イエス様が「偽預言者たちに用心しなさい」、「あなたがたは彼らの実によって見分けることになるのです。」と言われました。良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結びます。だから、実を見れば、その木が良い木か悪い木かが分かります。ところが、注意してほしいものがあります。良い木だから良い実を結ぶのです。つまり内側の本質が重要であるという話です。ぶどうの木は自然にぶどうの実を結びます。


【2023年11月12日主日礼拝説教】

私たちは欠乏を抱えている存在であることを認めるところから真の信仰が始まります。その欠乏とは、精神的欠乏、霊的欠乏、肉体的欠乏、能力的欠乏、品性的欠乏、関係的欠乏です。神様に求めることや祈ることは、自分にはできない、限界がある、欠乏があるということを認める行為だと言えます。自分自身に色々な欠乏があることに気づき、神様の前に近づいてきて、祈り求めることから信仰が始まり、また深まります。謙遜さがあるからです。傲慢な人は神様を求めないし、自分の欠乏さを認めません。


【2023年11月5日主日礼拝説教】

人をさばいてはいけません。ここの「さばく」とは、「罪に定める」という意味をもつ言葉です。ですから、さばくという行為は、ただ単位人を批評するくらいの行為ではなく、自分が神の位置に立って、人を罪に定める行為を指します。人をさばくことも、罪に定めることも神様の権限です。また、悪人に対しては神様が彼らを罪にお定めになります。


【2023年10月22日主日礼拝説教】

619〜34を要約すると、「地上の宝に対する関心より、神の国に対する関心を第一にもちなさい。」です。これがイエス様に従う信者の生き方です。「私たちを守り、必要を与えられる天の父がおられることを信じる」ことです。神様が空の鳥を養い、野の花を育て、野の草でさえ装ってくださるのなら、これらよりずっと価値がある私たちに、もっと良くしてくださらないでしょうか。神様は私たちの天のお父さんです。


【2023年10月15日主日礼拝説教】

「主の祈り」の中、六番目の祈りです。「私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。」この祈りをひと言で言えば、「自分の弱さや限界を悟った人が人生の危機の中で助けを求める祈り」です。誘惑に陥りやすい自分の弱さを素直に認めて、助けを求める人は霊的な必要を知る人です。そしてこの祈りは信仰的に成長した人の証しでもあります。


【2023年10月8日主日礼拝説教】

「主の祈り」の中、五番目の祈りです。11節の祈りは体の必要を求める祈りです。1213節の祈りは、霊的な必要を求める祈りであると言えます。「私たちの負い目をお赦しください」は、私たちに「罪赦しの恵み」が必要であることが示されています。「負い目」は「罪」です。自分が罪人であることを告白し、自分の罪を赦してくださいと祈ります。罪の惨状さや恐怖、罪悪性を知る人は罪赦しの祈りをささげます。しかし、この祈りは、信者にだけ必要な祈りではなく、すべての人に必要な祈りです。なぜなら、罪赦しの恵みを必要しない人は一人もいないからです。


【2023年10月1日主日礼拝説教】

「主の祈り」の中、四番目の祈りです。ここからは私たちのために求める祈りが始まります。主の祈りは、「私たち」の祈りです。すなわち、教会共同体的な祈りであるということです。「私たちの父よ」、「私たちの日ごとの糧」、「私たちの負い目」、「私たちも赦します」、「私たちを試みに」と書かれているとおりです。私たちは常に共同体の信仰を覚えてほしいです。イエス様が言われたとおり、「主はぶどうの木であって、私たちはその枝」です。


【2023年9月24日主日礼拝説教】

天の父のみこころが地でも行われることが、祈る者にとって必ずしも自分の好きな方向に動くとは限りません。なぜなら、私たちの願いはしばしば肉的ですし、あるいは神様のみこころがわからない時もあるからです。ですから、この祈りは私たちに嬉しい事が起きても悲しい事が起きても、意味がわからない事が起きても、それらを神様のみこころだと受け入れる信仰による祈りです。


【2023年9月17日主日礼拝説教】

御国が来ますようにという祈りは、私たち信者の全人格の上に、生涯の上に神の支配がなされますように、神の聖なる力と支配が現れますようにという意味の祈りです。それから、個人を超えて、家庭、職場、社会、国、世界へ神の支配がなされますように、すべての人々、社会、政治、思想、文化などが神の支配に従いますように、またサタンの支配や悪にとらわれている人々、そのたすべてのものに自由が与えられますようにという意味の祈りです。


【2023年9月10日主日礼拝説教】

祈りは神様に向かう賛美です。ほめたたえる(賛美する)というのは、聖なる神様が当然受けるべき栄光を、私たちが神様に帰することです。詩篇115114813黙示録48〜9ですから、神様を賛美することと、御名が聖なるものとされますようにと祈ることとは同じです。同時に、これは祈りは、自己中心(利己的)であってはならず、神様中心でなければらないことを教えられます。礼拝で最初の讃美曲が、神様をほめたたえる曲を歌うのも同じ理由です。


【2023年9月3日主日礼拝説教】

祈りの最初は「天にいます私たちの父よ」です。この短い文章に私たちが持つべき信仰が含まれています。神様は天におられるということです。天におられるというのは、全知全能の神であることを表します。それから、神様は私たちの礼拝をお受けになる方であり、私たちは礼拝をおささげする者であることが明らかになっています。また、私たちは地にいるから有限の者であり、神様は天におられるから無限の方であることが表れています。私たちの生命、知識、知恵、能力など有限でないものは一つもありません。しかし、神様は永遠におられる方であって、その知恵、力に限りはありません。


【2023年8月20日主日礼拝説教】

私の信仰の対象は、唯一の神、全知全能の神、創造主の神、私を愛される神様であるという事実を知った上で祈るという意味です。自分が祈っている神様が誰なのかを知ることです。詩篇121編。神様を知れば知るほど、私たちの祈りは深くなります。なぜでしょうか。神様を知れば知るほど、神様が何を喜ばれるか、何を嫌われるかを知ることができるからです。エペソ314〜20。この祈りを真似してほしいです。おうちで祈る時でも、礼拝で祈るときでも、真似して祈ってほしいです。


【2023年8月13日主日礼拝説教】

キリスト教に善行をするようにと教えられている理由があります。一つ目、天の父なる神様は「与える」神だからです。罪人を救うために、イエス・キリストを与えてくださいました。そして、信じる者には永遠の命を与えてくださいます。信仰を与え、教会を与え、家族を与え、信仰の兄弟姉妹を与えてくださいました。神様が与えて下さらないものは、一つもありません。二つ目。天の父なる神様は「良いお方」ですから、善行をするようにと教えられるのです。


【2023年8月6日主日礼拝説教】

マタイの福音書第5章から始まる山上の説教というものは、良い行い、きよい行いをするようにとイエス様が話されたものです。山上の説教の最後の部分、726を見ますと、7:26 また、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人にたとえることができます。」イエス様から聞いたみことばを行うことをとても強調しておられます。イエス様のご命令に従うことは言うまでもなく、しなければならないことです。

これに関してゆるい指針は示されていません。


【2023年7月30日主日礼拝説教】

イエス様は山上の説教を通して何が話したかったのでしょうか。それは信者のやり方ではなく、生き方(生き様)です。イエスを救い主と信じる人は御国の民です。私たちは今地上に身体を置いて生きていますが、私たちのたましいはすでに天上に引き上げられた御国の民なのです。愛する御子の御国の中に移してくださいました(コロサイ113、エペソ24-6)。御国に移された人は御国の民として歩みます(コロサイ3:1−4)。


【2023年7月23日主日礼拝説教】

私たちはイエス様を信じた時から、地の塩、世の光になりました。すでに、イエス様を信じる信者は地の塩、世の光なのです。エペソ58 「あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい。」イエス様は弟子たちに彼らの正体性を確認してくださいました。16節に「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。」「あなたがたの光」と言われました。ここにある「の」は「所有の意味」です。「あなたがたの光を」とは、「あなたがたが持っている光を」という意味です。


【2023年7月16日主日礼拝説教】

信者になるというのは、神のために生きることですから、義のために生きると言い換えるでしょう。神のために生きる道は、この世の道とは異なり、この世に嫌われたり、理解してもらえなかったり、拒まれたりする道です。信者の生涯は神に倣っていくものですから、弟子の道です。この道は、11節に書かれいるように「ののしられたり、迫害されたり、ありもしないことで悪口を浴びたりする」道です。それは、神を愛し、善を愛し、また、キリストを宣べ伝えるからです。


【2023年7月9日主日礼拝説教】

平和は三位一体の神のご品性です。父、御子、御霊の完全な一致の関係が平和の関係です。平和は神から出るものです(1コリント1433)。最初の人であるアダムは神の栄光にあずかり、神と交わり、神と平和の関係にいました。平和の関係は神が創造された自然世界と人間世界の美しい秩序であり、光景であり、本来の様子でした。しかし、アダムの堕落によって、神との平和が破れてしまいました。罪を犯した人は神の敵になりました。この神と人の平和を回復するために、イエス・キリストが十字架で死なれたのです(エペソ214-18)。真の平和はイエス・キリストによって、私たちにもたらされたものです。


【2023年7月2日主日礼拝説教】

神様は聖なるお方です。そして、私たちにも聖なる者でなければならないと命じられました(レビ記192)。使徒ペテロは、手紙において聖なる者となりなさいと命じました(第一ペテロ115)。聖なる神様は聖なる人たちと交わってくださり、その人たちにご自身を現してくださいます。地上においては肉の目で見ることはできませんが、霊の目で見ることができます。神様を知ること、神様の心が分かること、神様の思いを実践する人が神さまを見る人です。それから、やがて御国において救われたすべての聖徒たちは神様に会い、仕え、神様を拝見するようになります(黙示録223-4)。


【2023年6月25日主日礼拝説教】

「あわれみ深い者は幸いです」。あわれみは神様の品性です。神様は私たちをあわれんでくださいます。神様のあわれみを受けずに生きる人は一人もいません。神さまのあわれみのゆえに私たちの罪が赦され、神の子とされ、きよめられ、やがて御国に入るのです。信仰の根底には神のあわれみがあります。


【2023年6月18日主日礼拝説教】

6節に書かれている「義」とは、人の正しさを意味するのではなく、神の贈り物であって、ご自分の民に対する契約(約束)に誠実な神の行動を意味します。主は御民のために働かれる神であって、彼らを定め、選び、呼び、贖い、救い、守り、きよめ、祈りに答えられるお方です。このように御民のために働かれる神の誠実な行動が「義」です。


【2023年6月11日主日礼拝説教】

柔和な者とは何でしょう。柔和な者は、神様の前に自分を低くしたあわれで無力な人です。これは人に対する品性ではなく、神さまに対する心の様子を指します。神さまに対して柔和な人です。静まってそして謙って神様のみこころや答えを待ち望む人です。

和な者とは何でしょう。柔和な者は、神様の前に自分を低くしたあわれで無力な人です。これは人に対する品性ではなく、神さまに対する心の様子を指します。神さまに対して柔和な人です。静まってそして謙って神様のみこころや答えを待ち望む人です。


【2023年6月4日主日礼拝説教】

「悲しむ者」は、その悲しみの中にいて、天を見上げるようになるでしょう。自分の力ではどうしようもなくて途方に暮れたり、極度の窮乏の中にいたり、命の危険に晒されたりすると、人は天を仰いで、主を呼び求めるようになるでしょう。そして、主を求め、主に祈っていくうちに、主のみこころをより深く知り、自分に向かう主の摂理を悟るようになるでしょう。


【2023年5月28日主日礼拝説教】
山上の説教ー特に八の福の教えは、幸福を得るために何かをやりなさいといった「やり方」を教えているものではなく、「八つのあり方は幸いだ」といった「あり方」を教えているものです。これをやり方として解釈すると、キリストによる福音に相反する論理になります。マタイの5:3の「心の貧しい人たち」とは、「苦しんでいる人たちのへりくだった謙遜の心の人のこと」です。

【2023年5月21日主日礼拝説教】

イエス様のお働きは三つです。「教えること、御国の福音を宣べ伝えること、癒し」です。これを二つにまとめて言うなら、「教えること」と「癒すこと」です。天の御国の民を集めるために、まず人々に神のみことばを会堂で教えたり、御国の福音を宣べ伝えたりしました。それからイエス様は人々に教えることだけではなく、彼らの病やわずらいもお癒しになりました。彼らの現実の弱さもあわれまれ、それを癒してくださるお方です。


【2023年5月14日主日礼拝説教】

 イエス様は、悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上って行かれました。イエス様が受けられた三つの試みは、だれを信頼し、何を求め、だれに仕え、だれを礼拝するかに対する問題です。私たちはただ神様を信頼し、神の義と神の国を第一に求め、主にのみ仕え、主だけを礼拝する信徒でありましょう。


【2023年5月7日主日礼拝説教】

イエス様は公生涯の働きを始められる前、バプテスマのヨハネによって、バプテスマ(洗礼)を受けられました。イエス様の洗礼は、謙遜と従順を象徴します。洗礼を授けるべき大いなるお方がむしろ洗礼を受ける小さき者となられました。神様の心に従うイエス様の従順と、神が罪人になられた謙遜が現れています。


【2023年4月30日主日礼拝説教】

バプテスマのヨハネはイザヤ書に預言された通り、イエス・キリストの道を用意する人です。彼が宣べ伝えたメッセージは「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」です。悔い改めは自分と自分の罪がさばかれて、同時に救われる二つの意味が含まれています。真の悔い改めは一体どのようなものでしょうか。


【2023年4月23日主日礼拝説教】

イエス様が親に連れられてエジプトへ逃げました。ヘロデが死んだ後、イエス様の家族はイスラエルに帰ってきて、ナザレに住むようになりました。この一連の出来事は旧約聖書のホセア書とイザヤ書に預言された御言葉の成就だったのです。


【2023年4月16日主日礼拝説教】

イエス・キリストは誰か?イエス様は旧約聖書のミカ書5:2に予言された通りにベツレヘムでお生まれになりました。このお方は唯一でまことの王であります。さて、イエス様を王だと認め、拝むべきだった人たちは拝まず、異邦の博士たちがイエス様を拝みました。この矛盾はどういうものなのでしょうか。


【2023年4月9日主日礼拝説教】

復活のキリストを信じる信仰とは何でしょうか。イエス・キリストの復活によって死の力が打ち破られたこと、それからキリストがサタンに勝利されたことを信じることです。それから、私たちもキリストがよみがえられたように、よみがえることを信じることです。


【2023年4月2日主日礼拝説教】

イエス様はお生まれになる前、二つの名前が与えられました。一つは「イエス」であり、もう一つは「インマヌエル」です。とくに「イエス」という名前とイエス様の受難と十字架の死がどのように繋がっているでしょうか。この二つの名前が持つ意味と、その意味が指し示す神様の御心を教えていただきましょう。


【2023年3月26日主日礼拝説教】

マタイの福音書1章に書かれている「イエス様の系図」にどのような意味があるのでしょうか。アブラハムから始まってイエス様に至る系図を通して、神様が読者の私たちに語られるメッセージはなんでしょうか。この系図を通して教えられる神様の広大な救いの計画を教えていただきましょう。